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ホーム花ごころメディア旬の園芸レッスン江戸から受け継がれる大高菜を未来へつなぐ 〜大高菜〜
旬の園芸レッスン
2015.10.01

江戸から受け継がれる大高菜を未来へつなぐ 〜大高菜〜

園芸レッスン70 へぇ〜、そうだったの!? 「あいちの伝統野菜」大高菜

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花ごころ 旬の園芸レッスン70 へぇ〜、そうだったの!? 「あいちの伝統野菜」殿様にも献上された、 由緒ある美味な葉菜。園芸レッスン70 へぇ〜、そうだったの!? 「あいちの伝統野菜」大高菜あいちの伝統野菜の中でも、宮重大根などと並び長い歴史を持つのが、大高村(名古屋市緑区大高町)の特産品、大高菜です。この地方の歴史書によると、大高菜は慶長年間(1596〜1615年)には、大高藩主より毎年尾張の殿様に献上されていたというから、その歴史は300年以上遡ります。見た目は野沢菜によく似た大高菜ですが、そのルーツは、この地の住人がお伊勢参りの際に持ち帰った伊勢菜から派生したものという説も…。当時は漬物用の葉菜としての利用が主流でした。
大高菜の主な産地は、大高地区の海抜ゼロメートル地帯のごく限られた場所。当時は肥料が少なかったため、海の泥を乾かして畑に施していたそうです。大高菜は草丈三尺余り(約90㎝)にも生長しますが、ホウレンソウなどは大きくなり過ぎるとえぐ味が出るのに比べ、大高菜は大きくなっても、繊維質が少なくやわらか、えぐ味も少なく美味だとか。この特長は、肥料として与えていた海藻混じりの海の泥がミネラルたっぷりで、植物に良い影響を及ぼしたのではないかといわれています。


花ごころ 旬の園芸レッスン70 へぇ〜、そうだったの!? 「あいちの伝統野菜」人から人へ伝えること。 それが、伝統を守ること。地域や歴史に深く根付き、現在に受け継がれてきた大高菜。でも、その未来は決して明るいとは言えません。今は雑煮に入れる餅菜としての利用が主な大高菜ですが、栽培して出荷する農家はゼロに等しく、自宅の正月用に栽培するケースがほとんど。大高菜生産の衰退にはいくつかの理由があります。まず一つは「出荷できる期間が限られていること」。大高菜は夏に種をまくと病害虫の被害に遇いやすいため、種まきは10月に入ってから。そうなると、出荷できる期間は11月中旬から1月一杯と、とても短くなってしまいます。これでは農家の生計は成り立ちません。また、「安定した種の維持が難しいこと」も原因です。アブラナ科の大高菜は、他のアブラナ科の植物と交雑するとすぐに形質が変わってしまうため、種の生産は花粉が飛び交わない場所で行わなければいけません。これではコストがかかり過ぎます。ここ大高で代々農業を営み、大高菜の普及に尽力されている山口義博氏の場合、菜を収穫する以外に、種を摂るためだけに8月に種をまくそうです。そうすれば11月頃に花が咲くため、他のアブラナ科の花粉が飛んでくる心配が少ないそうです。園芸レッスン70 へぇ〜、そうだったの!? 「あいちの伝統野菜」大高菜 菜っ葉の比較
大高菜の<これから>について山口氏に尋ねると…「私自身、この地域の小学校で、大高菜の歴史や栄養価などを授業で教えるなど、地道ですが様々な活動をしています。まずは、大高菜の現状を知ってもらい、新しい世代の人に少しでも興味を持ってもらうことが大切。そして一人でも多く大高菜を育てて、この大高が誇る伝統野菜を未来へ受け継いでもらえれば、と考えています」。なるほど!あいちの伝統野菜に認定されたからといって、それだけで存続が確保されたわけではありません。人から人へ、受け継ぐことが大切なんですね。


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